韓国とシールド |
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絵本だけどとても考えさせられた。それは二人の主人公に投影するものが僕の中にはあったからだと思う。特にコジマのストーリーはまさに僕の人生のそれだった。 二人の主人公、キジマとコジマは、ある老人から「人間のからだの中心にあるやわかいもの(心のことだと思った)を守るためには盾、シールドが必要だ」と教えられる。シールドがなければ、心は次第に硬くなっていき、やがて乾いた犬のクソみたいになってしまうと。 キジマとコジマはそれぞれ別の道を歩みながらも、物語の最後にはシールドの秘密を理解する。 コジマが出した結論は、「シェパード、ドイツ語、妻」だった。どれも「簡単に手に入らない」ものである。シェパードは仕事、ドイツ語は能力、妻は家 族を表していると思う。仕事と能力と家族。全て努力と愛情と忍耐がなければ真に手に入れることはできないものだ。この3つがコジマにとって人生を生きてい くためのシールドであった。 キジマが出した結論は、シールドには2種類あるということだった。自分の内部にあるシールドと外部にあるシールドだ。キジマにとって内部のシールド とは厳しいボクシングの練習で培ったハートの強さであり、外部のシールドとは会社のことだった。どちらのシールドが良いということではなく、両方のシール ドに守られていることを自覚し続けることが大事なんだ、と気が付いた。会社のシールドを失ってから。 自分のことを振り返ってみると、思春期のころから大学生まで、僕は自分を守るシールドを手に入れることができずに心が乾いたクソみたいになってい た。感情の起伏が少なく、いつも何かにビクビクしていて、外部から心を閉ざしていた。たまに上っ面だけ楽しそうにしていることはあっても、心の底から何か を楽しんだ記憶はない。だけど、別に辛いとも思わなかった。辛いと思えるだけの感情がなかったんだと思う。家庭内暴力を受けた子供が心を閉ざして自分を守 ろうとするように、外部から完全に心を閉ざしてしまえば辛さは軽減されるものなのだ。 そんな僕の心に変化が表れたのは、大学三回生の時にクラスで10日ほど韓国を訪れたときのことだった。日本という環境を離れて非日常の時間を過ごす 間、僕は思いっきり素を出すことができた。自分を守る必要がなくなったからだ。カッコ悪いだとか恥ずかしいだとか、自分が他人からどう見られているだと か、そんなことは全く思わなかった。非日常の空間だからこそ、日常にはない特殊な雰囲気がそこにはあった。 そして、僕らを迎え入れてくれた韓国の人たちの心温まる交流は、乾いて犬のクソみたいになってしまった僕の心を溶かしてくれた。ホームステイ先の人 たちが用意してくれた送別会の最後で、この人たちとお別れしなければいけないと思った瞬間、僕は猛烈な感情に襲われ大泣きしてしまった。あまりにも突然 だったので自分でも驚いてしまった。こんな泣き方をしたのは生まれて初めてだった。まるでウルルン滞在記である。とにかく泣いた。皆も泣いていた。 日本に帰国した後、映画や本で感動した時、素直に涙がでてくる自分を発見して驚いた。 あの韓国の出来事から数年が経って、今、僕は自分なりのシールドを内外に築こうとしている。シールドに依存することなく、良い関係をこれからも保っていきたい。 関連する記事 |
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