「生きづらさ」を、ぼくも肯定していこう。『友だち地獄 – 土井隆義』

友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル (ちくま新書)
土井 隆義
筑摩書房
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こういった若者に関する本を読むと、
ふだんは意識していないじぶんの特徴を、
客観的にみられるから面白いなぁ。

現代の若者たちが、グローバル化する世界のなかで、
皮肉にも内閉的なメンタリティを示す傾向を強めているのは、
社会という大海を知らない井の中の蛙だからではない。
逆に、グローバル化の荒波を被ることによって、
社会という大海の不確実性を身にしみて感じている人々だからである。
彼らは、自らの世界の絶対的なリアリティを確保するために、
社会的な視点をあえて排除しようと企てているのである。

「若者」を「日本」にも「世界」にも置き換えられる。
最近、茂木さんが話していたように、
「ガラパゴス化」を通して地球規模で連帯すること – クオリア日記
どんどん繋がりやすくなる世界のなかで、
自分が没個性化していくことへの焦りを、ぼくは感じているし、
世界中のひとたちも感じているんじゃないだろうか。

そして、地理的にも、精神的にも、
ローカライズドしようとする反応は、ある意味、
反射的な防御本能だと言える。日本の大学しかり、
日本の大学のガラパゴス化 – クオリア日記
最近「地域」や「田舎」という言葉に惹かれている自分もしかり。

内向きな安定志向を、自分の内に感じながらも、
一方で、自分を一生成長させていきたい、
自分の世界を広げていきたい、という気持ちもある。
そのごっちゃ具合が「生きづらさ」と表現するのだろうか。

著者が最後に述べているように、
そんな「生きづらさ」を、ぼくも肯定していこう。
それ以外になにがあるというんだ。

私は、生きづらさそのものから彼らが開放されるべきだとは、
実は思っていない。生きづらさからの開放が、
真のユートビアへの道になるとはとうてい思えないからである。
生きづらさのない人生など、まさに現実らしからぬ現実だからである。
(略)生きづらさを抱えながら生きることは、
世界をただ漠然と生きるだけではなく、
その世界に何らかの意味を求めざるをえない人間の本質である。
したがって、生きづらさの放棄は、人間であることの放棄でもある。

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