2011-07-21

志向性を確かめるために

文章とは、瞑想のようなものかもしれない。
Writing as meditation. | Thinka.

ぼくも、文章を書きながら思考を確認し、再発見し、収斂させていく感覚が好きだし、また、自分にとって欠かすことができない行為だとも感じています。

最近の、無視してもいいと思えてしまうくらいの、ほんの小さな心の違和感は、内面を放ったらかしにし、志向性にわずかなずれが生じてきていたのかもしれない。まさにディレクションできていなかった状態ということ。そう、だから、新しい経験を積んでも、新しい出会いがあっても、なにか、こう、100%自分に還元されている感覚がなかったんだろう。

これから、もうすこし、自分のためだけにブログを書いていこうかなと思えました。ありがとう、mukkuさん。

2011-07-20

ブログになにを書くのか。

これまで私日記をずっと書き続けてきたけれども、これからもその姿勢で書いていくか、もやもやとして気持ちが悪い。

日常のふとした思いや感動を綴ることや、good newsを紹介する役割は、ブログからTwitterへ移っていった。140文字の制約は、むしろ、その瞬発性と相性が良かった。

プライベートな出来事は、Facebookで写真をアップしてしまえば、その欲求は大概満たされた。Facebookに自分のソーシャルグラフの半数が形成されてきたのは大きな要因だと思う。

仕事のことは、これから会社ブログで書くことになるだろう。

テーマを絞ってブログを書くことも一案かもしれないが、このブログを読んでくれた人達を裏切る感じがして、どうも心地が悪い。

自分の内側からぐつぐつと沸いて出てくるような、心情を吐露したい、誰かに伝えたいという衝動がないのは、今の環境がcomfortableなゾーンに入ってきている警告なのだろうか。

それとも、日々の生活に忙殺され、精神の感受性が錆びついてきているからだろうか。

何のためにブログを書くのか。ブログにしかできないことは何なのか。このシンプルな問いをじっくり考えてみる。

パッと思い浮かんだ言葉は「志向性」

同じような志向性を共にする人達と繋がりたい、という欲求が、このブログの根源にあったことを思い出す。

その目的を達するために、既に僕のブログは役割を終えようとしているのだろうか。

いや、違う。

東京へ出てきて以来、有難いことに、仕事(=会社)のおかげで、たくさんの新しいご縁がある。

だけど、それが、志向性による繋がりを得たい、もっと言うと、得なければいけない、という強迫感にも似た思いを薄くさせているのかもしれない。

2011-06-20

自分なりの「視座」を提供することにこそ価値がある。 / キュレーションの時代

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)
佐々木 俊尚
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この本が一番伝えたいことは、おそらく、次の言葉に凝縮されています。

一次情報を発信することよりも、その情報が持つ意味、その情報が持つ可能性、その情報が持つ「あなただけにとっての価値」、そういうコンテキストを付与できる存在の方が重要性を増してきているということなのです。

ブログやTwitter、Facebookのおかげで、たくさんのひとが情報を発信できるようになった。そんな中、自分があえて情報発信する意義はなんだろうと考えていました。具体的に言えば、それほど最新でないITニュースを見つけてそれをツイートしたり、ブログに書いたりする場合です。もう既にたくさんの人がその情報を伝播している。さらに自分が発信する必要があるのか、と。

しかし、その情報を重要だと思うに至った背景には、自分だけの知識や体験がまじわったものがあるわけです。その一点において、その人の個性が生きる。唯一の価値がでてくる。

逆に言えば、Twitterの公式リツイートは、自分の視座を提供しない(できない)わけで、重要性は低い。まぁ、役割が違うとも言えますが。

これから情報を再発信する時、特にTwitterにおいて、自分なりの意見や視点を上乗せできているか意識していこうと思います。

2010-11-25

ブログのデザインを変えました。

他のウェブサイトのデザインを考えていたら、
むくむくと、自分のブログをリニューアルしたくなっちゃったので、変えました。
まだ完成してないけれど。

ソーシャルボタンまわりも刷新。
はてなのはてブボタン、mixiのチェックボタン、
Twitterのツイートボタン、FacebookのLikeボタンに絞る。

記事の終りのほうで、
FacebookのLikeボタンを教えてくれた人の顔を、
表示できるようにもしてみました。

ソーシャルボタンの作り方は、以下のリンクを参考にどーぞ。

2010-04-22

ブログの色づかいとタイトルを変えました。

じぶんの世界観をうんぬんかんぬんと言っていたことを、
実行にうつすべく、CSSとにらめっこ中。
ブログのタイトルもすこし変えました。

COLOURlovers

色づかいを決めるのに、便利なサイト。
http://ja-jp.colourlovers.com/

もっと好きな感じにしていこー。

2010-04-08

ブログで自分の世界観を表現したい。『視覚マーケティング実践講座』

視覚マーケティング実践講座 ブログデザインで自分ブランドを魅せる
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ぼくのブログは、違うブログを参考にしながら、
じぶんの好きな色を組み合わせて作ったのですが、
もっと作りこんでみたい、と刺激をうけました。

ブログのデザインって、一言で言ってしまえば、
じぶんの世界観の表現ってこと。

だから、じぶんがブログを通して、
なにを表現したいのか、どんな印象をもってほしいのか、
そんなことを自分と対話していかないと、表現できない。

すこしずつでも、ブログをリニューアルしていきます。

デザインのリニューアルにあたっても、
今あるデザイン資産を持ったまま、
新しくなっていくことを考える必要があります。

2010-04-04

生産的な穴

穴? どういう意味ですか? ギャップ・イヤーの間に、いろいろ経験を積むことが穴? だとしたら、その穴は、とても生産的な穴でしょう。
ギャップ・イヤー – 茂木健一郎 クオリア日記

生産的な穴。いい言葉だ。

以前、引用した言葉を思いだします。

なぜ20代前半までになんらかの学位を取得して就職しなくては
「負け犬」と呼ばれてしまうのかが自分でもよくわからなかった。

職業経験や人生経験を積んでいくことが、
就職するにあたってのプラスになる社会と、反対にマイナスになる社会。

仕事につくという目的地、
もしくは学校から社会に出る出口まで到達するまでの時間制限が
さほど短くない社会と、厳しく時間を区切る社会のちがいは、
教育の過程においても大きな違いを生んでいる。

読了『受けてみたフィンランドの教育 実川真由 実川元子』

ぼくも、来年、妻と一緒に、
履歴書に、生産的な穴をあけにいきます。
まぁ、今もぽっかり空いているようなもんですが。ははは。

その穴が社会から評価されなくとも、
じぶんで、その穴掘った経験を活かしてみせよう。

2010-03-01

「ネット第一印象」を意識して、情報を発信していこう『ネットがあれば履歴書はいらない』

だれかが会社の面接にきたら、
まずインターネットでそのひとの名前を検索する。

仕事でだれかと初めて会うとき、
そのひとが過去にどんなことをしてきて、
どんな志向性をもっているのか知るために、
ブログやTwitterに目をとおしてみる。

そんな方法が、これからの社会では、
当たり前になってくるだろうし、
ぼくも、初対面のひとと会うとき、そうしています。

そんな社会では、インターネットで、
「自分の名前」が検索されたときに見つかる情報が、
とても大事になってきます。

もうちょっと具体的にいうと、
Googleで「自分の名前」を検索して、
上位10個にどんな情報が表示されるか、
それを意識していく必要があるんでしょう。

ひとと会うとき、
第一印象が大事だと言われていますが、
それはインターネットでも同じ。

どんな「ネット第一印象」をもってほしいのか、
それを意識的して情報を発信していく。

個人で生きていこうとしているひとには、
参考になることが、本書にはたくさんあると思います。

みんな中世のギルドのような世界で
職人として一章を終えていくことを考え、
そのなかで一職人として堅実かつ楽しく生き抜いていくために、
自分に何ができるのかを考え専門性を高め、
その技術を多くの人に利用してもらえるよう
アピールする必要があるということだ。

2010-01-25

Twitterの背景画像をかえてみました。

これまで、Twitterの背景画像には、
もとからあるデザインを使っていたのですが、
簡単にかっちょいいのが手に入りそうだと分かったので、
ちょちょいっと変更してみました。

My Twitter Screenshot
ShigeoKinoshita – Twitter

ぼくの好きな色をふんだんに使っていて、
みているだけで、いい感じに、脳みそをツンツンしてくれそうです。

Twitterの背景画像を手に入れるには、
このあたりがよさげですよ。

2009-12-10

頭ん中を発信する

最近ある友人が、
どんどんブログを書いていて、
こいつの頭ん中はすげーことになってるんだなぁ、と、
と関心していました。

でも、ふと、
だれだって頭ん中では面白いことを考えていて、
それをていねいに拾いあつめて、
外に発表するかしないか、
ソレだけの差なんじゃないのかな、
なんてことに気がついて、
最近せっせとブログ書いているわけです。
あ、せっせじゃないわ。
ぼちぼちですわ。

もう何年もブログを続けてきてのに
はじめて肩の荷がおりた心地です。

2009-07-03

ブログで素直に書くことの難しさ

最近、ブログを書こうとすると、途端にキーボードを叩く指が止まってしまいます。日常で感じたことを素直に書こうと試みているのですが、なかなかまとまったになりません。

無理にテーマをもって日常を書こうとするのがいけないのかもしれませんが、雑然とした日記のようにはなってほしくない。日常で感じたことを素直に書きながらも、ぬるいエントリーにならないためには・・・そのさじ加減に悪戦苦闘しています。そんなことを思案していると、茂木さん中山さんのブログは凄いなぁ、と唸らずにはいられません。

日常で感じたちょっとした思いや氣づきはTwitterで呟けてしまう。とすると、ちょっとした日常をブログのエントリーとして公開するためには、ある程度まとまった形として昇華させるべきなんじゃなかろうか、と思うわけです。鉄は熱いうちに打てじゃないですが、ちょっとした日常は放っておくとすぐに醒めて萎んでしまう。しかし、まとまった形にするためには時間がかかる。あっちを立てればこっち立たず状態。むー。

ブログを書くだけなのに気負いすぎでしょ、ってことは十分自覚してるんだけど、自分の中でもう少し納得した形でブログと付き合っていきたい。もうしばらくもがいてみます。

2009-06-26

日常をブログで書くということ

金城さんのエントリーを読んで、最近聴いた茂木さんの「個別と普遍の関係を求めて ー白魔術の手ほどきー」の講演を連想しました。

金城さんはアナール学派とデジカメを題材に

たいていの人は過去の自分の写真を見ると、イベントの写真ばっかだから、それが人生だと勘違いしちゃう(かもしんない)の。でも、普通に考えれば、イベントだけを生きてきたわけじゃーない。 (中略) この普段の何気ない生活ってのが、一番価値ある歴史(≒思い出)なんだよーってことを思い出させてくれたことかーもしれない

と言われています。

一方、茂木さんは、気楽に書かれているブログを題材に

そんなに価値があると思っていない、自分の生活に。でもそれは本当は間違っていて、どんな生活者にもどんな細かい日常の中にも普遍というものが底光りしてあるんですよ。という覚悟をもって、皆さん自分の日常を見つめていただくと随分風景が変わってくると思うんですよ

と言われています。

両者とも“非日常”の出来事ではなく、目の前で起こっては儚く消えていく“日常”を大事にしなよ、と言われているんだと解釈しました。

これまで、書評を除けば、このブログでは特別な出来事があったときにだけ更新をするように努めてきました。マラソン完走したとか千葉へ出かけたとか。自分の日常をブログに書いてどうなる、みんなに公開してどうする、と思ってきたからです。ただ、そう思ってブログを書き続けた結果、僕は自分の“日常”をなおざりにしていたのかもしれないですね。

ブログに対する姿勢になんて人それぞれで正解なんてないんでしょうが、これからはもう少し“日常”を大切にして更新していければ、と思いました。

2009-06-25

Twitterによる志向性の広がり

Twitterで知り合ったBerciにFacebookでフレンド申請を行っておいたらメールが届いた。日本のHealth 2.0のコミュニティやカンファレンスを教えてほしい、といった内容だったので、まだまだ勉強不足ですが自分の知りうる限りの情報を提供しておきました。彼は近いうちに自分のブログで日本のHealth 2.0の状況についてエントリーを書いてくれるそうなので楽しみです。

話はそこでは終わらずに、彼はTwitter上で@ShigeoKinoshitaを付けて色々とつぶやいたり、他の方に僕のことを紹介してくれたりしたので、Health 2.0のキーワードを通して色々とご縁が広がっていきそうな感じです。これがTwitterでコネクションを広げる醍醐味なのかなぁ、と実感しているところです。

その気になって自分から動いていけさえすれば、同じ分野に関心のある世界中の人たちと繋がることができるんですね。最近、梅田さんの「ウェブ時代をゆく」っぽい感じになってきました。ワクワク。

2009-04-14

『ブログを読む』 to 『ブログを書く』

やがて哀しき外国語

ジャズを聴くのは好きだけれど、自分でゼロから何かを創造するというのはそれとはまったく違った種類のものだ。創り出す喜びを一度知ってしまうと、「ただ聴くだけ」ということを仕事にしているのがだんだん辛くなってくる。
(村上春樹著『やがて哀しき外国語』105頁)

仕事じゃないけれど、ブログにも同じようなことが言えると思う。僕にとって色んな人の『ブログを読む』ことはとっても楽しくて刺激的でほっこりする行為である。自分の世界を広げてくれることもあれば、同じ価値観をもつ人をウェブ上で発見し勇気を与えてくれることもある。

でも、『ブログを書く』ことの醍醐味を少しでも味わってしまうと、他人のブログを読むだけじゃ物足りなくなってくる。面白いエントリーを見つけたら、トラックバックを打って自分のブログでも紹介してみたくなったり、自分とは違ったブログに対する姿勢や文体に触発されて自分のブログに変化をつけてみたり、あれこれ反応したくなってくる。

他人のブログをたくさん読んで面白いと思える人は、自分で『ブログを書く』ことにもはまる可能性があるんじゃないかなぁ。どうだろう。受信アンテナの具合によるのかもしれないな。

2009-03-26

自然に内面をさらけ出す

僕が読んでいるブログには大きく2種類がある。1つは、情報収集のためのブログ。そしてもう1つは、ブロガーの人生に触れたいと思って読んでいるブログ。情報収集のブログは自分にとって有益だったり、刺激的だったりすると購読する。じゃあ、人生ブログはどんな内容だったら購読したくなるのかな、と考えてみる。

そこには大きな共通点がある気がする。それは「少しでも内面をさらけ出しているか」ということなんだろう。僕は良いことや表面的なことばかり書いているブログを読んでいてもちっとも面白くないし、共感もできない。ブログを読んでいても、その人の姿カタチが見えてこないから。光と闇が適度に合ってこそ見えてくるものがある。ほんの少しでもいいから自分のリアルな言葉をのせているかどうか。そういう意味じゃ僕の過去のエントリーの多くは表面的だった。

でも、誤解してほしくないのは、あえてダークサイドに構えて、挑発的な内容を書いて、みんなの興味を引きつけること(いわゆる釣りってやつですな)とは違う。

僕は叩き台をあえて間違っているものを提示して、相手のYESを引き出すカウンターパンチを打つこともあります。右に行きたいのに、左ってまず言うんです。そうると「おい、そこは右だろ」って言ってくれるので、「そうですよね、ここは右ですね。失礼しました」とつなげるんです。特に上司の説得に有用です。お試し下さい。
発信力をつけよう – GoTheDistance

gothedistanceさんが言われるように、意図的に叩かれる練習をするのなら効果的なんだろう。注目を集めてはてなブックマークを稼ぐのにも有効だろう。それはアルファブロガーの取る戦略としては正しいのかもしれない。弾さんもしかりだと思う。

だけど、意図的にダークサイドに構えるんじゃなくて、素直に自分の気持ちを出す。そこに不安や怒り、葛藤なんかも自然に含めてしまう。そんなブログが僕は好きだし、自分のブログもそういったもので在りたいと思う。

2009-03-06

ネットが不思議な縁を紡いでいく

今日、初めてネットでご縁を持った方々と顔を合わせる。単なる飲み会だけど楽しみだなぁ。思えば、不思議な縁が重なって僕はここにいるんだなぁと思う。

縁の始まりは『フューチャリスト宣言』を読んだ時だ。茂木さんが語る『ネットの偶有性』という言葉に魅了され、ブログを始めた。しばらくは何も起きない日々が続いた。当時このブログを見てくれている人はほとんど身内だけだった。アクセス数は0~3ぐらいだったと思う(笑 読み終えた本の感想をアウトプットすることで得られるものはあったが、義務感だけでブログを書いているような時期だった。正直に言って、ブログを更新することはそれほど楽しい行為じゃなかった。

次に転機が訪れたのは『ウェブ時代をゆく』を読み『志向性』という言葉を知った時だった。ネットを通して自分と似たような志向性をもった人達と緩やかな繋がりをつくる、そんな試みが紹介されていた。またまた僕は魅了された。そして、自分と同じようにこの本に興奮し、志向性を繋げたいと思っている人がどこかにいないか探してみようと思った。梅田望夫さんのはてなブックマークのキーワードを通して、この本に関する書評にがんがん目を通していった。そうして出会ったのが比嘉さんのブログだった。

彼のブログはエキサイティングだった!裏シリコンバレーツアーやシュンポシオン横浜、自らの志向性を頼りに世界を広げていく様子に驚き、ただただ刺激をもらった。彼のブログの周辺には魅力のある方がたくさん繋がっていた。まさしく『志向性の島』を体現していると思った。

それから彼のブログを定点にして、志向性が似ている方のブログを少しずつはてなRSSに登録し始めた。他の方のブログを定期的に読むようになり、面白いと思った記事にはてなスターを付けたり、感想を書き込んでみたりした。自分なりに志向性の電波(サイン)を発し始めた。

しばらくすると、こんな稚拙な僕のブログにも足を運んでくれて、☆まで付けてくれる方が現れた始めた。今まで感じたことのない新鮮な喜びを覚えるとともに、やっとブログの醍醐味を味わうことができたんだなと思った。

そんなこんなで今日僕は単なる飲み会@京都に参加することになった。伊藤さんと二人で錦市場で会うことにもなった。不思議な縁をつむいでくれた数々のブログ達、梅田さんの書籍、はてなのサービスにとても感謝しているのだ。ありがとー!楽しんできます☆

2008-11-28

Twitterで「ウェブ時代をゆく」をフォローしてみる

Twitterのダイナミズムを味わうためにフォローする数を1000オーバーする実験を行ってみることにした。方法としては、Twitter検索で引っかかった人を片っ端からフォローすることにする。

まずは「ウェブ時代をゆく」でフォローを開始。数が足りなければ、キーワードを追加する予定。

——

追記:フォロー終了。ただいま177人。次回は「私塾のすすめ」でフォローをする予定。

2008-11-18

「日本語が亡びるとき」を読んだ所感、ブロガーとしての選択

本書の中でたびたび出てくる「図書館」というワードによって真っ先に頭に浮かんだものは「wikipedia」のことであり、グーグルが進めている「ブックサーチプロジェクト」のことであり、ブログが創造している知的情報圏のことであった。

今、人類の歴史がはじまって以来の大きな<普遍語>となりつつある英語の<図書館>であり、その<図書館>だけが、英語を <外の言語>とするもの凄い人の数が出入りする、まったくレベルを異にする<図書館>なのである。(中略)高い教育を受けた全世界の人が出入りする英語の <図書館>が、内容からいって、この先もっとも充実した<図書館>となっていくのは当然である

ネット空間に形成している日本語圏の質は、英語のそれよりも既に圧倒的な差をつけられてしまっているように感じる。それはちょっとしたキーワードを 日本のwikiと英語のwikiで比べてみるだけでも分かるし、日本で人気のあるブログを見ていれば敏感に感じ取れるのではないだろうか。

このままポスト普遍語として英語が世界中に広がれば、

ジャーナリストであろうと、ブロガーであろうと、ものを書こうという人が、<叡智を求める人>であればあるほど、<国語>で<テキスト>を書かなくなっていくのを究極的には意味する

それだけではない。本当に恐ろしいのは、

<叡智を求める人>が<国語>で書かなくなるときではなく、<国語>を読まなくなるときからである。(中略)<叡智を求め る人>は、自分で読んでほしい読者に読んでもらえないので、ますます<国語>で書こうとは思わなくなる。その結果、<国語>で書かれたものはさらにつまら なくなる。

といった悪循環が始まることだと指摘している。世界の叡智と叡智を求める人がどんどんどんどん英語だけに集約されていく。それって英語圏に生まれた世代にとってはものすごい恩恵になるだろうし、非英語圏にとっては第二外国語として如何に英語と接していくかが今よりも問われるようになってくる。

これからどの言語によってブログを書いてゆくか。どんな読者に読んでもらいたいのか。小説と同じく、ブログの本質だって究極的には「誰かに読んでもらう」ことにあるのなら、より多くの人に読まれる可能性がある言語で書かれるべきなのだろうか。

世界に隅有性を求めてみるか、もしくは公用語が2つある国のように日本語も英語も記述してしまうのも面白いかもしれない。茂木さんのように2つのブ ログを併用するのもアリだ。それとも著者や梅田さんや村上さんのように、日本語圏を豊穣のものとするべく(あえて)日本語だけを選択するか。

mixiから始まった僕の旅はほとんど自動的に日本語から始まったけれど、本書を読んで遅まきながら初めてブロガーとしての姿勢が問われているような気がした。

2008-09-20

想定読者

mixi日記と連動させていたのをやめた。ノドの奥の小骨がとれたみたいにスッキリした。

なぜだろうか。

おそらく、最近になってこのブログの想定読者は誰かだろうか、と考えた時に、mixiで繋がっている人たちと大きなギャップが生まれたからだと思う。

僕がこのブログの想定読者として考えている人たちは

  • より良くなろうとする意思がある
  • 新しい価値観によってサバイバルしているorしようとしている
  • 知識欲、好奇心が強い
  • インターネットの可能性についてオプティミズムを抱いている

といった資質を持ち合わせている人たちである。

僕のマイミクシィ全員がそういう人たちというわけではない。想定読者ではない彼らに、強制的に僕の日記の更新を知らせることには抵抗がある。迷惑メールを送っているようで、なんとなく気持ちが悪かったのだ。これからは想定読者だけをイメージして、ブログを書こうと思う。