自分なりの「視座」を提供することにこそ価値がある。 / キュレーションの時代

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)
佐々木 俊尚
筑摩書房
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この本が一番伝えたいことは、おそらく、次の言葉に凝縮されています。

一次情報を発信することよりも、その情報が持つ意味、その情報が持つ可能性、その情報が持つ「あなただけにとっての価値」、そういうコンテキストを付与できる存在の方が重要性を増してきているということなのです。

ブログやTwitter、Facebookのおかげで、たくさんのひとが情報を発信できるようになった。そんな中、自分があえて情報発信する意義はなんだろうと考えていました。具体的に言えば、それほど最新でないITニュースを見つけてそれをツイートしたり、ブログに書いたりする場合です。もう既にたくさんの人がその情報を伝播している。さらに自分が発信する必要があるのか、と。

しかし、その情報を重要だと思うに至った背景には、自分だけの知識や体験がまじわったものがあるわけです。その一点において、その人の個性が生きる。唯一の価値がでてくる。

逆に言えば、Twitterの公式リツイートは、自分の視座を提供しない(できない)わけで、重要性は低い。まぁ、役割が違うとも言えますが。

これから情報を再発信する時、特にTwitterにおいて、自分なりの意見や視点を上乗せできているか意識していこうと思います。

読了『情報の文明学 梅棹忠夫』

the information age of then...
Attribution-NonCommercial-ShareAlike License by jaeming

「情報」の扱い方がおもしろいですね。
ネクタイも家庭菜園も、ある意味、情報産業だそうです。

なんでかというと、
ネクタイは、ただの布きれじゃなくて、
そのネクタイのデザイン(という情報)を買っているから。
家庭菜園も、野菜をつくるという趣味体験(という情報)だから。

となると、ぼくたちのまわりにあるものは、
なんでもかんでも情報というわけですか。
日本はやっぱり「ものづくり」だよね!と、
思っているひとがいたとしても、
実は、つくっているものも情報だったりするわけです。

そう考えていくと、
日本はどんな「ものづくり」をしていけばいいのか、ではなくて、
どんな「情報づくり」をしていけばいいのか、
そして、その「情報」をどうやって貯めて、伝えていくのか、
そんな発想がいいのかもしれないなぁ、と思いました。

ネクタイにしても、我々は単に細長い小さな布切れを買ったのではなく、デザインを買ったのです。デザインは情報である。我々はまさに情報に金を払っているのです。

情報の蓄積をいうことのもっている文明史的意味をしっかりつかまえる必要がある。

全世界を覆う情報の体系は、歴史的に蓄積された、普遍的存在として我々をとりまくが、人間個人は、常にそれを「空気」として呼吸するのである。こうして、古典は現在においても新鮮な意味をもつ。

情報の文明学 (中公文庫)
梅棹 忠夫
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