読了『日本を降りる若者たち』 |
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『外こもり』という新しい行き方を模索している人たちを紹介している本書。タイのバンコクを舞台に『外こもり』をしている多様な人物が登場し、自分の知らなかった行き方があるんだ、と興味を持って読むことができました。
ただ、長期間海外でこもる為にはお金が必要なわけで、日本でお金を稼いでいる間は肉体的にも精神的にも相当きつそうでした。それは日本が合わずに飛び出してきた人たちだけになおさらのことなんでしょう。
という著者の発言には説得力があります。 また、アジア(タイ)という寛容力のある国で長期間暮らすことの警告も。
この発言は『世界級ライフスタイルのつくり方 – 逆カルチャーショック』で紹介されている内容と似ている気がしました。日本と文化が大きく異なる場所で自分が暮らすことがなった場合は、充分気をつけたいと思います。 |
嫉妬心を成長のスパイスに – 『こうして僕らはアフガニスタンに学校をつくった。』 |
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悠さんの周りにいたスタッフ達の、アフガニスタンに学校を作るまでの苦労話や心の葛藤が紹介されている。前著よりもリアルで親近感を覚えた。印象に残ったスタッフの会話。
そうそう、僕も劣等感や悔しさだけじゃなくて、悠さんの行動力や力強さに嫉妬していたんだろうな。一人の人間としてメッチャ眩しかった。だから読むのが辛かった(笑 でも、そんな嫉妬心もいいもんだ。嫉妬して悔しくて「ナニクソ!なんか俺流で勝負する方法はないか!?」って試行錯誤しているうちに自分なりの個性が磨かれていく(かもしれない)。
若気の至り上等!嫉妬心を成長のスパイスにしてしまおう。 |
屈辱を喰わされた – 『流学日記』 |
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正直に言うと本書を読んでいて何度も読むのをやめたくなった。ラブ&ピース、ヒッピー的なエッセイにありがちな自己陶酔に満ちた言葉ばかりが並んでいたからだ。 でもやめたくなった理由は本当はそれだけじゃなかった。岩本さんの体当たり的な行動力にただただ圧倒され、自分がぬるま湯にいるように感じたからだ。自分がちっぽけに感じられ、そんな自分に目を背けたくなった。タバコも万引きもバカ騒ぎもハメをはずすこともしてこなかった優等生な自分が弱弱しく思われ、なんだか気後れを感じてしまった。サバイバル能力で完膚なきまで叩き伏せられてしまった。 この屈辱は世界一周旅行へのモチベーションにつなげよう。 |
偏った英語のゴールを決める |
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まずは偏った英語のゴールを設定する。僕のゴールは以下の3つ。
この中で一番緊急レベルの高い「カンボジアで旅行ガイドを雇い、世界遺産や証券取引所、市場、観光スポットを案内してもらう」をまず最初のゴールに設定することにする。 |
韓国とシールド |
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絵本だけどとても考えさせられた。それは二人の主人公に投影するものが僕の中にはあったからだと思う。特にコジマのストーリーはまさに僕の人生のそれだった。 二人の主人公、キジマとコジマは、ある老人から「人間のからだの中心にあるやわかいもの(心のことだと思った)を守るためには盾、シールドが必要だ」と教えられる。シールドがなければ、心は次第に硬くなっていき、やがて乾いた犬のクソみたいになってしまうと。 キジマとコジマはそれぞれ別の道を歩みながらも、物語の最後にはシールドの秘密を理解する。 コジマが出した結論は、「シェパード、ドイツ語、妻」だった。どれも「簡単に手に入らない」ものである。シェパードは仕事、ドイツ語は能力、妻は家 族を表していると思う。仕事と能力と家族。全て努力と愛情と忍耐がなければ真に手に入れることはできないものだ。この3つがコジマにとって人生を生きてい くためのシールドであった。 キジマが出した結論は、シールドには2種類あるということだった。自分の内部にあるシールドと外部にあるシールドだ。キジマにとって内部のシールド とは厳しいボクシングの練習で培ったハートの強さであり、外部のシールドとは会社のことだった。どちらのシールドが良いということではなく、両方のシール ドに守られていることを自覚し続けることが大事なんだ、と気が付いた。会社のシールドを失ってから。 自分のことを振り返ってみると、思春期のころから大学生まで、僕は自分を守るシールドを手に入れることができずに心が乾いたクソみたいになってい た。感情の起伏が少なく、いつも何かにビクビクしていて、外部から心を閉ざしていた。たまに上っ面だけ楽しそうにしていることはあっても、心の底から何か を楽しんだ記憶はない。だけど、別に辛いとも思わなかった。辛いと思えるだけの感情がなかったんだと思う。家庭内暴力を受けた子供が心を閉ざして自分を守 ろうとするように、外部から完全に心を閉ざしてしまえば辛さは軽減されるものなのだ。 そんな僕の心に変化が表れたのは、大学三回生の時にクラスで10日ほど韓国を訪れたときのことだった。日本という環境を離れて非日常の時間を過ごす 間、僕は思いっきり素を出すことができた。自分を守る必要がなくなったからだ。カッコ悪いだとか恥ずかしいだとか、自分が他人からどう見られているだと か、そんなことは全く思わなかった。非日常の空間だからこそ、日常にはない特殊な雰囲気がそこにはあった。 そして、僕らを迎え入れてくれた韓国の人たちの心温まる交流は、乾いて犬のクソみたいになってしまった僕の心を溶かしてくれた。ホームステイ先の人 たちが用意してくれた送別会の最後で、この人たちとお別れしなければいけないと思った瞬間、僕は猛烈な感情に襲われ大泣きしてしまった。あまりにも突然 だったので自分でも驚いてしまった。こんな泣き方をしたのは生まれて初めてだった。まるでウルルン滞在記である。とにかく泣いた。皆も泣いていた。 日本に帰国した後、映画や本で感動した時、素直に涙がでてくる自分を発見して驚いた。 あの韓国の出来事から数年が経って、今、僕は自分なりのシールドを内外に築こうとしている。シールドに依存することなく、良い関係をこれからも保っていきたい。 |








