「ポルトガル 朝、昼、晩」を読了。僕の理想の旅のカタチかもしれない。

ポルトガル朝、昼、晩。
ムラマツ エリコ なかがわ みどり
メディアファクトリー
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外国に行き、「住む」のでもなく、「旅」をするのでもなく、暮らしている「フリ」をする。住まいを確保し、現地で生活用品を買い揃え、マーケットで食材を調達して自炊する。できるだけ現地の人が利用するカフェやレストランへ通う。時々、隣町にもバスで足を運んでみる。そんな、暮らしている「フリ」を楽しむ生活。

海外に移住している人やバックパッカーからすると、中途半端なスタイルに見えるかもしれないけれど、これはこれで旅のカタチのひとつ。ほどよく肩の力が抜けていて、それでいて、適度な好奇心を保てそう。

そして、なにより「海外で短期間に生活できる環境を整え、実際に生活してみる」という経験が、旅のソレとは違って、これから何が起こるか分からない世界で生きていく上でとっても大事だぞ、と思いました。

ユニークに生きることに勇気をもらえる『自分の中に毒を持て 岡本太郎』

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか (青春文庫)
岡本 太郎
青春出版社
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ぼくは長いこと大阪に住みながら、岡本太郎氏のことを全然知らなかったので、彼が戦前パリに渡航していたこと、相当の覚悟をもって活動していたことを知って驚くとともに、刺激を受けました。火の玉のように、下手に触るとこっちが火傷してしまいそうな人物だと感じました。

以下、本の中から抜粋した言葉です。

食えなけりゃ食えなくても、と覚悟すればいいんだ。
それが第一歩だ。その方が面白い。

子供がいても、この覚悟をもてるか。
どうだろう。正直わからない。

危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。
ほんとはそっちに進みたいんだ。

気になるから危険だと感じる。
どうてもいい道なら、認識すらしない。

自分はなんてバカな奴だといいながら、
そのくせ内心では、こっそり、
いや、そんなこともないかもしれない、
なかなかどうしてなんて思っているものだ。
そういう複雑に絡み合ったものがコンプレックスだ。

えぐるような指摘。
まったくその通りで、自分にも当てはまっている。

他人にバカにされようが、けなされようが、笑われようが、
自分がほんとうに生きている手ごたえをもつことが、
プライドなんだ。

スポーツも歌も会話もすべて、
下手なら、むしろ下手こそいいじゃないか。
そう思って平気でやればいい。
もっともっと下手にやろうと決心すれば、
かえって人生がおもしろくなるかもしれない。

思い出すのは、
自分の結婚式の二次会で、嫁さんの前で、
ジェンベを演奏して、アフリカの愛の歌をひとりで唄ったこと。
音痴で、カラオケもめっちゃ嫌いな自分にとっては、
あの時、こんな気持ちだった。

ハイウェーを驀進しながら、
その画一的、いわばスマートな身軽さを身につけながら、
しかし同時に、ジャングルの中を押し分けていくあの冒険。
不如意。希望。失意とファイト。
その孤独の戦いともいうべきロマンティスムを、
意志的に自分に課すのだ。
その対極的な相互作用に、身体全体をぶつけてこそ生きがいだ。

遊びの至上

遊びの至上は私たちの魂に近く、
そして実践において遠い。
遊ぶことの厳しさと喜びに思いを馳せると、
いつでも胸がいっぱいになる。
そして、生まれてきて良かったと思う。
生きることの目眩の中に、
偶有性の映し鏡が姿を顕す。

茂木健一郎 偶有性の自然誌 考える人2009年秋号

遊びをせんとや生れけむ、
戯れせんとや生れけん、
遊ぶ子供の声きけば、
我が身さえこそ動がるれ

梁塵秘抄

プリンシプルに生きたいな。

こんな時だからこそ、感情的な反応ではなく、自分のプリンシプルにのっとって行動したい、生きたいなと思います。

どんな情報を信じるのか、どれだけのリスクを引き受けるのか、どんな信念に基づいて行動するのか、すべては自分自身で決めること。そこにプリンシプルがあれば、たとえ誤った選択だとしても後悔はないだろう。どんなことにも絶対はないから。

プリンシプルに生きているひとは、周りのひとたちに対して過剰に反応したりはしない(はず)。逆に、プリンシプルのないひとに限って、他人の行動に憤りやストレスを覚えるような気がします。

今、白須次郎が生きていれば、何と言うだろうか。

読了『軽くなる生き方 – 松浦弥太郎』

軽くなる生き方
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松浦 弥太郎
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松浦弥太郎さんの言葉は、
なんだか心地がいい。
きっと飾らない言葉だから。

過去のこと、これからの仕事のこと、
いろいろとヒントをもらえた。
引用したい言葉がありすぎて、困ってしまうのだ。

僕は考えた。
気持よく高いところまで歩いていきたいなら、身軽なほうがいい。
そこに行かなければ見られない景色をとっぷり堪能したいなら、
大荷物など邪魔なだけではないか。

ぼくも、もっともっと、身軽になりたい。
物理的にも、精神的にも。

その人と一生つきあっていきたい、
一緒に仕事をしていきたいと思ったからこそ、
気まずい指摘もはっきりとしていきたかったのだ。

気まずい雰囲気になるのを恐れない。
大切な人だからこそ。

生身で真摯に対峙する自分の姿に照れてしまったら、
言いたいことなんて、なに一つ相手に伝わらない。

アホみたいに真剣になってもええやん。
なに熱くなってんの、と言われても気にすんな。

「すてきな大人は、いばらない」

ぼくの周りの素敵な先輩も、みんないばらん。ええよね。

仕事でも人生でも誰かと深くかかわりたいなら、
まず自分から、情けなさをさらけ出してしまおう。
異常なところを見せ、格好悪い面をオープンにし、まるごとでかかわろう。

ついつい格好つけちゃうから、もっとダメなとこオープンにしよ。
って、既にけっこうダメダメですよ、とツッコミがw

「思いついたことを全部やる」と決めたらどうなるだろう?

これいい!やろやろ。

ゴールはひたすらドライに、
プロセスはあくまでウェットに

協業して仕事するときに、この考え方を思い出そう。

だからこそ僕は思う。
無駄な時期に詰め込んだガラクタこそ、
いつか宝物に変換されるときが来ると。
不遇な月日が、自分をつくる大切な要素になっていたのだと、
必ず思える時期が来ると。

来てほしい。

抱え込んだレシピを手放し、
惜しみなく与え、人に任せて新しい料理をつくってもらう。
これこそ、自分の人生の資産運用だ。
そうすれば、自然に利子が入ってくる。

人生の資産運用って考え方、素敵やね。
なんでも循環ってわけですか。

トラブルは、ゴチャゴチャに散らかった心の部屋を整理し、
いらないものを捨て、壊れたものを修復する最高のチャンス。
病気の根っこはもちろん、大切なものを教えてくれる。
新しい境地へ連れていってくれる。
だから、僕はいつでも「トラブル、カモン!」の心境でいたい。

ははは、身に覚えがありすぎて、笑える。
確かに、トラブルのたびに、ゴチャゴチャしたもんが整理されて、
新しい道が見つかってきた気がするし、
これからも見つかるような気がする。
と思えるようになったのは、自信にしてもいいのかな。

読了『iPadがやってきたから、もう一度ウェブの話をしよう』

梅田望夫さん(@mochioumeda)の新著、
iPadがやってきたから、もう一度ウェブの話をしよう』が発売されたので、
さっそく買って読んだ。

本書で、一番、つぎの言葉がぼくに響いた。

そして何より大切なのは、「生活」を人生の目標にしないこと。
フロンティアへの挑戦や冒険、研究や創造、
知的興奮の追求、パブリックな精神に基づいた活動、
グローバルな難題の解決・・・・、没頭する対象は何でもいい。
でも、おいしいものを食べるとか、便利で快適で安全な暮らしとか、
そういった「生活」レベルのことではなく、
それよりも上位の価値を追い求めること。
それが、先進国の恵まれた環境に育って
よい教育を受けている君たちの責任だ。
via 梅田望夫

そう、「生活」じゃない。「冒険」。

もともと安定志向が強いタイプだったので、
油断すると、comfortableな環境を求めてしまう。

もうすぐ生活環境を変えるつもりだったので、
なんだか、勝手に背中をおされた気分になった。

この言葉に出会っただけで、
読んで良かった。

知のてっぺん『学問は驚きだ 糸井重里』

智慧の実を食べよう 学問は驚きだ
糸井 重里 岩井 克人 川勝 平太 松井 孝典 山岸 俊男
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会社や社会や日本のことを、
とことん考えまくってるひとたちの話が聴けるから、
糸井さんが言うように、たとえ理解できなくても、
知のてっぺんの醍醐味がある。

なにかをとことん学びつづけているひとの魅力は、
博識だとか、頭の回転が早いだとか、そんなところにあるのではなく、
そのひとだけの世界観を表現しているところにある。

魔法なんだか、勉強なんだか、もう、役に立つのかさえ
わからないところに、「知る、ということの輝き」が、
きっとある。ぼくはそれを、実感しているのです。

前置きのかわりに – 糸井重里

「ふだん見過ごしていることを、不思議なもののように考える」こそが、
知を愛することであり、智慧を生み出す実なのです。

会社の行方 – 岩井克人

これからは、様々なものが標準化される時代であるからこそ、
どこかで標準化されないような部分や、流れが停留する部分を、
意識的に確保しなければ、だめなのかもしれませんね。

会社の行方 – 岩井克人

実態と名前の乖離しない接点・・・
ポシャらないけど、バブルにもならないバランスを探すことは、
本当に難しいと思います。正解がないんですからね。
これはポスト産業資本主義を生きていかなければならない、
すべての人間の課題かもしれません。

会社の行方 – 岩井克人

彼をそばでみていると、生き方がかっこいいんです。
それはどうしてかというと、他人の評判で動いているわけではなくて、
自分の原理で動いているからです。
他の人がいてもいなくても行動を変えないとか・・・
わたしもそうありたいと思います。

社会の行方 – 山岸俊男

農をなりわいにするのではなく、
いろいろな芸術を楽しむように、土をいじり、水をやれば、
すがすがしい緑の葉っぱ、美しい花、それに実のなる作品が生まれる。
水と緑と花と季節の変化を存分に楽しむという姿勢でいれば、
ずいぶん楽しめるんです。

日本の行方 – 川勝平太

大人にとっても『かけがえのないもの 養老孟子』

かけがえのないもの
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養老 孟司
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子どもにとって、かけがえのないものを考えていくと、
それは、大人にとっても、かけがえのないものなのだ。

どうなるか分からない未来を期待し、
意味のわからないものを楽しみ、
新しい環境に挑戦する。

そんなことが、大人にだって、
おおいに許容されていいはずだし、
みんなにとって、当たり前であってほしい。

理想を語るのではなく、
実践者でありつづけたい。

その姿を、将来の子どもたちが見てくれて、
人生の偶有性をポジティブにとらえてくれたら、嬉しい。

大人というのは、子どもが好きなことをやっているときに、
それが何のためかという無意味な質問を繰り返す動物です。
私はそれを子どものころから知っていました。

親の世代が、子供に自分の育った環境とまったく違う環境を
与えてしまっているからです。過去の自分を否定して
子供に自分と違うことをやらせているわけですから、
これでは親が子供の教育ができなくて、当たり前です。

子どもが持っている財産とは何か。それこそが、
一切何も決まっていない未来、漠然とした未来なのです。(中略)
だから、予定を決めれば決めるほど、
子供の財産である未来は確実に減ってしまうのです。

「生きづらさ」を、ぼくも肯定していこう。『友だち地獄 – 土井隆義』

友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル (ちくま新書)
土井 隆義
筑摩書房
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こういった若者に関する本を読むと、
ふだんは意識していないじぶんの特徴を、
客観的にみられるから面白いなぁ。

現代の若者たちが、グローバル化する世界のなかで、
皮肉にも内閉的なメンタリティを示す傾向を強めているのは、
社会という大海を知らない井の中の蛙だからではない。
逆に、グローバル化の荒波を被ることによって、
社会という大海の不確実性を身にしみて感じている人々だからである。
彼らは、自らの世界の絶対的なリアリティを確保するために、
社会的な視点をあえて排除しようと企てているのである。

「若者」を「日本」にも「世界」にも置き換えられる。
最近、茂木さんが話していたように、
「ガラパゴス化」を通して地球規模で連帯すること – クオリア日記
どんどん繋がりやすくなる世界のなかで、
自分が没個性化していくことへの焦りを、ぼくは感じているし、
世界中のひとたちも感じているんじゃないだろうか。

そして、地理的にも、精神的にも、
ローカライズドしようとする反応は、ある意味、
反射的な防御本能だと言える。日本の大学しかり、
日本の大学のガラパゴス化 – クオリア日記
最近「地域」や「田舎」という言葉に惹かれている自分もしかり。

内向きな安定志向を、自分の内に感じながらも、
一方で、自分を一生成長させていきたい、
自分の世界を広げていきたい、という気持ちもある。
そのごっちゃ具合が「生きづらさ」と表現するのだろうか。

著者が最後に述べているように、
そんな「生きづらさ」を、ぼくも肯定していこう。
それ以外になにがあるというんだ。

私は、生きづらさそのものから彼らが開放されるべきだとは、
実は思っていない。生きづらさからの開放が、
真のユートビアへの道になるとはとうてい思えないからである。
生きづらさのない人生など、まさに現実らしからぬ現実だからである。
(略)生きづらさを抱えながら生きることは、
世界をただ漠然と生きるだけではなく、
その世界に何らかの意味を求めざるをえない人間の本質である。
したがって、生きづらさの放棄は、人間であることの放棄でもある。

ストレスについて。

No More Doggie Stress For Tonight
Attribution-NonCommercial License by Giancarlo D’Alessandro

会社をやめて、働くようになってから、
ストレスに対して弱くなったじぶんを、
感じることがちょくちょくあります。

人ごみの多いところを歩きまわったり、
知り合ったばかりのひとと長時間過ごしたりした後、
けっこう疲れている自分を発見します。

こんなんじゃ、社会の荒波にたえていけないぞー、と気になる一方で、
これって人間としてけっこう正常な反応なんじゃないか、とも思う。

ストレスに強くなる、最良の方法は、
じぶんが少し負荷をかんじる環境に身をおくこと。
要は、筋トレと一緒なわけですよ。精神マッチョの道。

ストレスに弱くなってると思う瞬間があるものの、
サラリーマンだと苦痛に感じるだろう、ある種のストレスに対しては、
案外タフになってきているかもしれません。
たとえば、先がみえないことへの不安や孤独感なんかには。

生き方によっては、求められる耐性が違うのだろうから、
あんまり気にしないでいいのかね。どうだろね。

コペル君と一緒に学んだ『君たちはどう生きるか』

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

この本は、中学生のコペル君が、
毎日おこる出来事を、親戚のおじさんに話して、
それにおじさんが(将来読むであろう)コペル君に対して手紙でこたえる、
といった形で話がすすんでいきます。

おじさんがコペル君に語りかけている言葉は、
26歳の僕にも、考えさせられる内容が多くて、
まるで、コペル君の隣にすわって、
おじさんの話を一緒にきいているような気分でした。

少し多めに引用します。

自分たちの地球が広い宇宙の中の天体の一つとして、
その中を動いていると考えるか、それとも、
自分たちの地球が宇宙の中心にどっかりと座り込んでいると考えるか、
この二つの考え方というものは、実は、天文学ばかりのことではない。
世の中とか、人生とかを考えるときにも、
やっぱり、ついてまわることなのだ。

人間が集まってこの世の中を作り、その中で一人一人が、
それぞれ自分の一生をしょって生きてゆくということに、
どれだけの意味があるのか、どれだけの値打ちがあるのか、
ということになると、僕はもう君に教えることが出来ない。

それは、君がだんだん大人になってゆくに従って、
いや、大人になってからもまだまだ勉強して、
自分で見つけてゆかなくてはならないことなのだ。

ただ眼や耳が普通に備わっているというだけでは足りなくて、
それを味わうだけの、心の眼、心の耳が開けなくてはならないんだ。

肝心なことは、いつでも自分が本当に感じたことや、
真実心を動かされたことから出発して、
その意味を考えてゆくことだと思う。(中略)

そうすると、ある時、ある所で、君がある感動を受けたという、
繰り返すことのない、ただ一度の経験の中に、
その時だけにとどまらない意味のあることが分かってくる。
それが、本当の君の思想というものだ。

世間の眼よりも何よりも、
君自身がまず、人間の立派さがどこにあるか、
それを本当に君の魂で知ることだ。
そうして、心底から、
立派な人間になりたいという気持ちを起こすことだ。

だからねえ、コペル君、あたりまえのことというのが曲者なんだよ。
わかり切ったことのように考え、それで通っていることを、
どこまでも追っかけて考えてゆくと、
もうわかり切ったことだなんて、
言っていられないようなことにぶつかるんだね。

少なくとも、コペル君、君が貧しい人間と同じ境遇に立ち、
貧乏の辛さ苦しさを嘗めつくし、その上でなお自信を失わず、
堂々と世の中に立ってゆける日までは、
君には決してそんな資格がないのだよ。

君は、生産する人と消費する人という、この区別の一点を、
今後決して見落とさないようにしてゆきたまえ。

人間が、こういう不幸を感じたり、
こういう苦痛を覚えたりするこということは、
人間がもともと、憎みあったり
敵対しあったりするべきものではないからだ。

また、本来、もって生まれた才能を
自由にのばしてゆけなくてはウソだからだ。

一番深く僕たちの心に突き入り、
僕たちの眼から一番つらい涙をしぼり出すものは、
―自分が取りかえしのつかない過ちを犯してしまったという意識だ。

理想の働き方って?

ウマーな豆乳鍋

昨日は京大で、町屋スタジオで、
働き方について話をきいたり、しゃべったりしてきました。

起業してるひと、就活してるひと、仕事してないひと、
人事コンサルしてるひと、料理をつくるひと、プログラマーなひと、
いろんな人間が、そこにはいました。

これって普通だよなー、と思う一方で、
社会的には、就職して会社で仕事をすることが当然だという、
考え方があるとかないとか。

ぼくの理想の働き方は、
ある時は会社にいったり、ある時は仕事つくったり、
ぷいっと旅に出たり、育児パパになったり、ぼーっと何もしなかったり、
そんなことを手軽に選べること。

ギャップイヤーも、日本で、もっともっと、
普及すれば面白いことになりそう。

たぶん、ずーっと、この先、自分の働き方について、
人生のステージごとに自問することになるんだろうけれど、
自分だけは裏切らないようにしたい。

良く老いた『ムナーリのことば』

ムナーリのことば

ブルーノ・ムナーリ
素敵な言葉の持ち主だったんだなぁ。

彼のように、いつまでも、
好奇心をもったまま老いていきたい。

子どもの心を 一生のあいだ
自分の中に持ち続けるということは
知りたいという好奇心や
わかる喜び
伝えたいという気持ちを
持ち続けるということ

芸術とは
形に
中身に
素材に
技術に
方法に
過去の体験をなぞり
新しい体験を重ねる
終りのない探索のこと

簡素化は、知性の証である。
中国の賢人は言ったものだ。
「二言三言で言えないことは、
どんなにたくさんの言葉を連ねても言えない」と。

残念ながら、
たくさんの人々が、
良く老いるということを、
知らずにいる。

生産的な穴

穴? どういう意味ですか? ギャップ・イヤーの間に、いろいろ経験を積むことが穴? だとしたら、その穴は、とても生産的な穴でしょう。
ギャップ・イヤー – 茂木健一郎 クオリア日記

生産的な穴。いい言葉だ。

以前、引用した言葉を思いだします。

なぜ20代前半までになんらかの学位を取得して就職しなくては
「負け犬」と呼ばれてしまうのかが自分でもよくわからなかった。

職業経験や人生経験を積んでいくことが、
就職するにあたってのプラスになる社会と、反対にマイナスになる社会。

仕事につくという目的地、
もしくは学校から社会に出る出口まで到達するまでの時間制限が
さほど短くない社会と、厳しく時間を区切る社会のちがいは、
教育の過程においても大きな違いを生んでいる。

読了『受けてみたフィンランドの教育 実川真由 実川元子』

ぼくも、来年、妻と一緒に、
履歴書に、生産的な穴をあけにいきます。
まぁ、今もぽっかり空いているようなもんですが。ははは。

その穴が社会から評価されなくとも、
じぶんで、その穴掘った経験を活かしてみせよう。

じぶんと対話することには価値がある『ひきこもれ』吉本隆明

ひきこもれ―ひとりの時間をもつということ (だいわ文庫)
吉本 隆明
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ふつう、『ひきこもり』というと、
悪いイメージがあるかもしれない。暗いとか、何もしてないとか。

でも、この本で、吉本さんが言ってるのは逆で、
仕事でも人生でも、『ひきこもる』時間をもつことが、
なかなか価値のあることやねんぞ、ってこと。

ぼくにも、『ひきこもり』の性分が多分にあるから、
そんな主張をきいて、なかなか痛快だったし、
肩の荷がおりる気がしました。

『引き出し症候群』の社会って息苦しいんだよねー、と思ってるひとは、
ぼくの同年代にたくさんいるような気がするので、
この本を、もっと多くのひとが読めば、
生きやすくなるひとがふえそう。

それって、ある意味、省エネな生き方だと思います。

『引き出し症候群』なひとも、
『ひきこもり』たいひとも、
無駄なことにエネルギーをつかわずに、
自然体に、もっと楽しいことに没頭できるから。

じぶんの内側から聴こえてくる声に、
もっと正直に、もっと楽に、生きていきたい。

「この人が言っていることは奥が深いな」とか、「黙っているけれど存在感があるな」とか、そういう感じを与える人の中では、「意味」だけではく「価値」の増殖が起こっているのです。それは、一人でじっと自分と対話したことから生まれているはずです。

熟練した職業人になるためには、少しゆるんでいて、いい加減なところがあって、でも持続力だけはある、というのがいいのです。

「とにかく教師は生徒に向きあうべきだ」という考えには、子供を「指導」してやろうという、プロを自認する教師の、ある種思い上がった気持ちがあります。

そんなことをしなくても、毎日後ろ姿を見ているだけで、子供はいい先生を見抜きます。自分の好きな先生を見つけて、勝手に影響を受けていくのです。

問題は、親が子供にどう接するかではなく、親自身の心の状態がどうであるのか、ということなのです。

生まれた時代性というものは、なかなかぬぐい去ることができないし、まるで何もなかったように白紙に戻すようなことはしてはいけないのです。

人生論になるような人生『青春漂流』

青春漂流 (講談社文庫)
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立花 隆
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立花隆さんが、この本の最初に、

本当の人生論は語るべき対象というよりは、実践すべき対象なのだ。自分の人生を語ることが、論を何も立てなくてとも、そっくりそのまま人生論になるような人生、そういう人生を目指している男たちを選んだつもりである。

と言っているように、
世間の主流からほど遠いところで、生きているひとたちの、
生き様が紹介されています。

家具職人や動物カメラマン、精肉職人、コックなど、
その道でやっていこうとすることは、
こういうことなんだよ、と、背中で語るような人達ばかり。

みんな、その道に、己の人生をかけていて、
自分自分にとてもつなく厳しくて、
全く妥協しない姿に、怖さすら感じました。

ぼくたちが、じぶんは世間から必要とされていないのかも、と不安になったとき、
この本を読めば、普通の世界とはちがう生き方もあるんだ、と、
勇気をもらえるかもしれないし、
逆に、こんな壮絶な生き方は自分には到底無理だと、
絶望感を強くするかもしれない。そんな強烈な本でした。

「謎の空白時代」が明らかになってみると、「船出」がやみくもの冒険ではなかったことがわかる。自分の人生を自分に賭けられるようになるまでには、それにふさわしい自分を作るために、自分を鍛え抜くプロセスが必要なのだ。

それは必ずしも将来の「船出」を前提としての、意識的行為ではない。自分が求めるものをどこまでも求めようとする強い意志が存在すれば、自然に自分で自分を鍛えていくものなのだ。

そしてまた、その求めんとする意志が充分に強ければ、やがて「船出」を決意する日がやってくる。そのとき、その「船出』を無謀な冒険とするか、それとも果敢な冒険とするかは、「謎の空白時代」の蓄積だけが決めることなのだ。

鑑了『カールじいさんの空飛ぶ家』

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いちばん印象にのこったのは、
おじいさんが、重くなった家から、
思い出の家具をそとへ放り捨てるシーン。

新しい冒険にでるためには、
何かをすてなければいけなくて、
それがたとえ、
身を引きちぎられるようなものだったとしても、
きっと必要なことなんだろうと、感じました。

読了『神道のこころ』

春日大社で宮司をしている著者が神道の考え方について紹介しています。

「神道」のこころ
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葉室 頼昭
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東洋の漢方医学は三千年も歴史がある。三千年も歴史があるということは本当だということです。

漢方医学はなんとなく怪しい、けしからん、という風潮があるような気がするんだけど、何が正しいのかは誰にも分からないもんだと思います。西洋医学だけが唯一正しいという考え方が、時が何百年と経って、病原菌の存在を知らなかった中世の人々のように覆っているかもしれない。

このような神聖な場所を昔の人は直観で知っていたわけです。(中略) そういう昔の人の直観力というか、日本人の感性はすごいと思います。

こういうのは別に日本人だけじゃないと思うけれど、現代人よりも昔の人のほうが直観力が優れていたってことには同意。今、芸術 or 新しい分野を切り開いて活躍している人は昔の人が備えていた直観力を違う形で表現しているのかもしれない。

それぞれが祀っている神さまを全部天皇家におさめた。それで決して外国のように滅ぼさなかった。だから天皇家は続いているんです。

国家や文化が長期的に繁栄しようと思えば、力で押さえつけるやり方はできさないのかな。チンギスハンも征服した民族が服従すれば、宗教の自由が認められていたような・・・モンゴル帝国は滅びちゃいましたが、他人が大切にしているものをこちらも大切に扱うってのはなんにしろ大事。それが難しいんですけどね。偉そうには言えません。

俺は寒さなんかに負けるかと、自力で頑張った生物だと思われるでしょうが、そういった連中は全部滅びている。これは考え違いの努力です。

適者生存の話をしているんだけど、これってそのまま現代の状況にも当てはまると思う。昔ながらの仕事のやり方が通用しない中で、逆風に立ち向かおうと、さらに昔のやり方を努力して努力して頑張ってもダメっていうことだと思いました。逆風に耐えるんじゃなくて、新しい風の方向へ向かって歩みださないといけないな、という思いを強くしました。

読了『オシムの言葉』

オシムの言葉 (集英社文庫)
木村 元彦
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タイトルからオシム語録のように思われるかもしれませんが、中身はオシムの伝記。自身の故郷サラエボが内戦状態に突入してもなお、プロフェッショナルとして異国で、しかも故郷を攻めている民族の監督をこなし続けた事実にはただただ言葉がありませんでした。想像できる世界をはるかに超越していて、精神力がすごいとかそんな安易な言葉で表現してはいけないような雰囲気を感じました。

本当のユーモアは知性とも同義(26頁)

これはオシムの言葉ではないけれど、すごい気に入った箇所。どんな状況でもユーモアを語れる人間でありたいです。

アイデアのできない人間もサッカーはできるが、サッカー選手にはなれない。でもアイデアだけは練習だけでは身に付かない。(中略)生活の中でアイデアを見つける、答えを出していくと言う環境に鍛えこまれたからだ(43頁)

普段からささいな事にも想像力を使って解決することが大切なんだと捉えました。そういえばPINOを設計した松井龍哉さんも独創的であることと食事の関係性を語っておられたけれど、オシムと同じことを意図しているのでしょう。

システムが人間の上に君臨することは許されないのだ(210頁)

国レベルの話じゃなくても、個人レベルで仕事のシステムを組む時にも当てはまる訓言。効率化や仕組み化だけを目標にして、システム有りきの発想にならないように気をつけたい。

後悔を未来の糧にする

後悔しているときは、現実に自分がとった行動と、こうすればうまくいったのにという想像との比較が同時に行われているんです。自分の選択に反映される価値観や世界観を反省し、考え方を変えるきっかけにもなるわけです。つまり後悔は、未来を変えるためにやっているんです。
茂木健一郎 『プロに学べ!脳活用法スペシャル これが“育て”の極意だ!』

後悔が未来を変える!ってなんだか新鮮な響きやね。くよくよ後悔して何も行動できなくなっちゃうのは良くないかもしれないけれど、後悔したことからフィードバックを受けて未来を見つめることはプラスになる。

僕の最大の後悔はなんだろう。たぶん大学時代に何か真剣に打ち込まなかったこと。将来やりたいことを考えることもなく、漠然と公務員にでもなれたらいいなぁと思っていた。ほんまに興味のあるテーマが分からずにゼミを途中でやめた。課外活動も何もしなかった。大学へ行き、授業中は居眠り&さぼり、終わったらバイト。それの繰り返し。自分で世界を広げる努力をしていなかったんやろね。大学がつまらんとこやと思ってた。そうじゃなくて、その当時は自分がつまらん人間だったってこと。今なら分かる。

その大学時代の空白が今、猛烈な後悔となって勉強するモチベーションになっている。大学時代に何かに真剣に打ち込んでいれば・・・といったもう一人の僕のイメージに追いつきたい。もっと色んなことを吸収したい。みてみたい。

後悔をしてから、少しずつだけど僕の未来は変わり始めたと思う。そんなことをちょっぴり自覚できると、さらに未来に対して希望と自信をもてそうな気がする。