2009-03-04

まずは土俵に上がる – 『プリンシプルのない日本』

プリンシプルのない日本 (新潮文庫)

白洲次郎氏は日本人がプリンシプル、つまり原則を常に意識することを重要だと主張している。

西洋人と付き合うには、全ての言動にプリンシプルがはっきりしていることは絶対に必要である。(217頁)

どうも日本人というのは、これは日本の教育の欠陥なんだけど、物事を考える時に、物事の原則っていうことをちっとも考えないんだ。(259頁)

日頃の言動ひとつひとつに原則を意識するっていうのは、僕にとっては新鮮だった。そんなことは意識したことがなかったからだ。自分の原則=信条みたいなんもんを芯に据えておいたら、もし妥協することがあってもきちんと治まるところに治まる。原則がないくせに「まあまあ」と言って場を治めようとすることは妥協じゃない。臭いものに蓋をしてるだけ。

ただ、僕がよく理解できなかったのは他者との関わりにおけるプリンシプルのことだ。本書の中で、日本人は原則的な考え方ができないから外国人と話すと議論が平行線に終わるといった話が紹介されていた。

それでは、お互いが原則的な考え方をする場合、議論は丸く収まるのだろうか。うーん、治まらない場合もたくさんあるような気がする。そもそもお互いが拠り所としている原則が反目し合うものだったらどうなるのだろうか。「原則vs原則」になったら、win-winになりえるのか。win-loseになるんじゃないか。それとも原則というからにはお互いが納得できる共通のルールみたいなものが存在するのだろうか。

と、ここまで書いてきて自分なりに答えが少し見えてきたかもしれない(笑

お互いが原則的な考え方ができる場合、双方の信ずる原則が違っていたとしてもがっぷり四つで勝負することができるっていうことかな。ふんふん。そして、原則がなければ土俵にも上がれないってことか。それぞれが原則をはっきりさせた上で、オープンマインドをもってwin-winを実現できるように議論をすればいいのかな。

追記

原則的であることについて (内田樹の研究室)

上記のエントリでは白洲氏とは逆に原則的に生き過ぎることの弊害を指摘している。原則に縛られることで自分の成長を自ら妨げてしまうのか。うーん、確かに狭量になる危険性はありそうである。真反対の意見にそれぞれ説得力があるんだから面白い。

追追記

ご存じない方もいらっしゃるかもしれないので一応シェアしておきます。今ちょうどNHKで白洲次郎氏のドラマが放送されています。全三回あります。少しでも白洲次郎氏のことに興味を持ったのなら要チェック!
http://www.nhk.or.jp/drama/shirasujirou/index.html

有事の際に生死を分ける能力 – 『白洲次郎 占領を背負った男』

白洲次郎 占領を背負った男

白洲次郎氏の活躍の中心は戦後にあるのだが、僕が特に興味を惹かれたのは、彼が第二次世界戦争が終結する何年も前に日本が敗戦することを予見し、自ら農家に転じていたことだ。

彼には分かっていた。今まで「負け」を経験したことがない日本は徹底抗戦を行い、その結果、東京は大空襲に合い焼け野原になる。そして戦後には空前の食糧不足が日本全土を襲うだろう、と。連戦連勝のほうに浮かれていた当時の日本国民の中に、ここまで冷静に先を見据えていた人がどれだけいただろうか。「敗戦」の2文字を口にするだけで非国民扱いにされるような頃だ。田舎に引っ越し農家を始めると決めた時、周囲の人から相当な侮蔑を受けたことは想像に難くない。

己の信ずるところを実行する胆力、周りの雰囲気に流されない冷静さ、いち早く世界事情を把握する情報収集力。有事の際に生死を分ける能力を本書に見た気がした。

2008-12-08

自分の世界が広がる瞬間

僕は小さい頃からトマトが嫌いだった。あの噛んだときに溢れて出てくる緑色をしたジュルッとした液体。酸っぱいのか甘いのか良く分からない複雑な味。見た目もなんだかグロテスク。おええ。

でも、食わず嫌いじゃない。何度も食べた。もしかしたらいつか好きになるかもしれないという好奇心に似た淡い思いから、機会があるごとにトマトをかじった。そして、かじるたびにあの緑色の液体に苦い顔をし続けてきた。

ある夜、その時は訪れた。僕は友人と居酒屋でお酒を飲んでいた。お酒が少し回った頃、友人はお酒のアテに冷やしトマトを一つ注文した。友人は冷やしトマトをパクパクむしゃむしゃ食べた。まるで果物を食べているかのように本当に美味しそうに食べた。僕は興味をそそられて、冷やしトマトを一切れ頂いた。

食べた瞬間に、おっ、美味しいかも・・・???としばらく時間が空いて、あぁ、トマトが甘くて美味しいってこういうことだったのかと初めて合点がいった。やっとトマトが美味しく感じられる世界へ迎え入れてもらったのだ。僕はこういう経験がたまらなく好きである。

思えば、ビールだって、苦い苦いと思いながら飲んでいるうちに、旨い!と思える瞬間が訪れたものだし、ピーマンの肉詰めやネバネバ系(オクラや納豆)がいつの間にか美味しく思えるようになった。そんな時には自分にとって楽しめる世界が広がった感じがして、年を重ねることもいいもんだと思ったりするのだ。

だから、僕は今でも、苦手な日本酒やウイスキーに挑戦をし続けるし、いつか美味しいと思える瞬間が来ることを確信し、待ち遠しく思っているのだ。それが30代になるのか40代になるのか、はたまた、もっともっと年をとる必要があるのか分からないけれど、とにかく待っているのだ。

こんな風に自分の世界が広がる瞬間が訪れるのは、なにも料理の話だけじゃない。あらゆる分野にも当てはまるもんじゃないかな。僕は最近になって初めてジャズやクラシック、昔流行ったロック?(エリック・クラプトンやローリングストーンズなど)を積極的に聴いたりしてるけれど、今のところ繊細な良さは理解できていない。ジョギング中に聴くと丁度良い感じはするんだけど。エリックの真髄を3分以内に答えろ、なんて問われれちゃったら、きっと返答には困ってしまうだろう。

でも、別にいいのだ。焦る必要は何もない。だって、僕は、トマトと同じようにいつの日かコレが良いんだよって思える瞬間が来ることが分かっているのだから。

2008-11-27

コンフォートゾーンを飛び出す

心地良いと思っている「ぬるま湯」を飛び出すって言うと、なかなか大層な偉業のように聞こえる。恐怖心すら感じる。すぐに茹で上がってしまうような熱湯に入るのかと恐れてしまう。

でも、そんな仰々しくないんじゃないとも思う。小さな挑戦でいいから始められばいいんじゃないかな。ささいな出来事でも年月が経てば、大きな契機だったと気付くかもしれない。

そうして、糸井さんと同じように、数年後の自分に「今こうしていられるのは、あの時、お前が決断してくれたからだ。ありがとう」と言われたい。思えば、2年前の僕の勇気にはすごく感謝しているし、2年後の僕にも同じようにそう思ってもらいたい。

2008-11-06

仏滅だっていいじゃないか

僕は個人的にあえて仏滅に結婚式をあげるようなタイプの人々を好んでいる。「仏滅だろうが何だろうが俺たちはうまくいくんだ」をいう信念があれば何だってうまくいくはずだ―という気がする(村上春樹/安西水丸著『村上朝日堂』194頁)

僕は小学校ぐらいの頃のある日、近所の駐車場のナンバーに4がないことに気が付いた。きっと工事現場のおっちゃんが数字を入れ忘れたんだな。まったく。純粋にそう思った。

両親に理由を聞いてみて、4は縁起が悪いからなんだよと聞いて愕然としてしまった。大の大人が縁起を信じて駐車場に欠番を作るなんて!幼い自分には どうしても信じられなかった。それじゃあ、僕の誕生日は縁起の悪い数字ばかりじゃないか。ふざけんな。大きくなっても縁起なんてもんを信じる大人にはなっ てやるもんか。強く心に誓った。

だから、結婚式の日にわざわざ仏滅を避けるようなことをしないつもりだし、駐車場や車のナンバーだって4がついていても構わない。むしろ縁起の悪い数字を避けてくれる人がいることで、僕が選ぶ数字は競争率が少なそうでよかったと感謝しているぐらいである。

縁起をかつぐかつがないなんて他人があれこれ言う筋合いはないのは承知だけど、個人的には村上さんの意見に深く同意してしまった。

2008-10-23

大組織で成功できる資質

経営コンサルタントとして大企業で働く人達を観察し続けてきた梅田望夫さん曰く、大企業で成功できる人間の資質とは、

  • 自分の時間を他人にコントロールされることを楽しめる
  • 与えられた課題に情熱を注げる
  • 一緒に働く人の好き嫌いが少ない
  • ルールを与えられれば、すぐに理解し、その世界に邁進できる
  • チームプレイヤーに魅力を感じる
  • 巨大なものに貢献することに達成感がある
  • 組織への使命感が、この志向性よりも強い
  • (梅田望夫著『ウェブ時代をゆく』093頁)

僕が独立しようと思った動機の一つも、自分の時間の使い方を他人にコントロールされることの嫌悪感からだった。いや、もっと強く正確に表現するなら、自分の人生の決定権を他人に握られていることへの嫌悪感だった。

僕は人生で必ず守り通そうと思っている信条を持っているんだけど、ある時、会社の上司からそれを破ることを強要された。もちろんその行為が悪意ではなく善意からでなされていることは、その当時だって理解できた。

だけど、その時に心の中で強く思ってしまった。なぜ大切な信条を破るという重い決断を他人に強要されなくちゃいけないんだろう。破るなら破るで自分で決意して破りたい、と。

そして、こんなことに強い嫌悪感を抱いてしまう僕は特殊な部類で、こんなタイプの人間はきっと企業では永く生きていけないんだろうと思わずにはいられなかった。

2008-10-19

What is worth doing, is worth overdoing

「What is worth doing, is worth overdoing」

『ひとつ、村上さんでやってみるか』で引用されていたフレーズで、訳は

「やる価値のあるものは、やりすぎるだけの価値がある」

まぁ、価値のあるものもやりすぎると何かと困ってしまう事が起こるような気もするけど、大抵の人(僕を含め)は大切なことを逆にやりすぎていないことが多いだろうから、それぐらいの意気込みがあってもいいか。

僕にとって、「やる価値のあるもの」を思いつくままざっと挙げると、

  • ジョギング
  • トレーニング
  • 英語の習得
  • 心の通った友人との交流
  • 早寝早起き
  • 収入の柱の構築
  • 読書
  • 旅行
  • 家族と仲良くする
  • 専門スキルを磨く
  • 日誌をつける
  • ブログを更新する

時間をかければまだまだ挙げられそう。ちょっとした価値のあることって誰にでもたくさんあるんじゃないかな。

でも、それをすべてやりすぎちゃうと時間がいくらあっても足りなくなってしまう。自分の価値観に優先順位をつけて、「本当に時間とエネルギーを費やして、やりすぎちゃう価値があるのか?」と自問してからでも遅くはないだろうな。

2008-10-17

自分の呼び名

自分のことを「おじさん」とか「おばさん」と言った瞬間から、人はおじさんになり、おばさんになってしまうのです。

(村上春樹著『ひとつ、村上さんでやってみるか』248頁)

まったくおっしゃるとおり。人は心が老いた瞬間から肉体的な老いも加速するもんだと思う。

30代を超えて、親戚に甥っ子ができたとしても、自分のことを「おじさんorおばさん」呼ばわりしなくてもいいんじゃないかな。他人から言われるのは仕方がないかもしれないけれど、自分の心の中でその言葉を受け入れてしまったらもう負け。いっちょ、僕も一生「木下くん」で頑張ってみます。

2008-10-16

優雅に生きることが最良の復讐

「Vivir bien es la mejor venganza.」

スペイン語で「優雅に生きることが最良の復讐である」という諺である。こちらのブログでスペイン語を調べてくれていた。感謝。

他人から不当な罵声を浴びせられたり、自分のやっていることを非難されたりしても、ぐっとこらえて胸の中でこの言葉をつぶやく。怒りに任せて反撃しても後に禍根を残すだけで馬鹿馬鹿しい。相手は相手なりに僕のことを(きっと)心配してくれているのだ。表現方法に棘があるだけなのだ。優雅に生きる姿を見せてつけることこそ復讐になるし、別に意味で恩返しにもなるのだろう。

2008-10-15

魅力的な50歳とは?

本当に人間的な魅力がある人は、50歳になってもその魅力が損なわれることがないと思う。むしろ年齢を重ねるごとにその魅力をウイスキーのように深いものにしていくんじゃないかな。

僕が魅力的だと感じる50歳の特徴を挙げると、

  • 知的好奇心が旺盛
  • 新しいことに挑戦し楽しんでいる
  • お腹の肉が出ていない
  • セックスアピールがある
  • 服装に気を配っている
  • 愛妻家
  • 頭がやわらかい(アンチ頑固親父)
  • ユーモアがある

誕生日を迎えることが嫌いな人が多いのかもしれないけれど、僕みたいな理想の50歳像でも持っていれば、年齢を重ねることが楽しくなると思うんだけどね。どうなんだろ。

2008-08-11

スカイ・クロラ

スカイ・クロラ

CGの凄さは言わずもがな。空中戦には鳥肌が立った。音もすごかった。弾痕の音がしばらく耳に響いた。ポニョとは対極に位置するアニメ映像美の最高峰だと思う。

物語では、主人公がラストの戦闘シーンに入る前に何度も繰り返すセリフが印象的だった。

「同じ道を歩いていても見える景色は同じじゃない、それじゃダメなのか」

毎日、同じことの繰り返しの生活。なんとなくな生活を繰り返す。そんな日々に生きている意義を見出せない子供たち。でも、ちょっと勇気を出して、ほんの少しの変化を起こすことができれば、毎日の生活だって少しずつ変わっていく。

人生は一度きり。自立して生きろ。永遠に生死を繰り返さなければいけないキルドレ達と自分たちは違うのだから。