帰宅してからも、彼の言葉があたまの中で何度も反芻されるのは、彼の言葉に、じぶんの望みの本質が見え隠れするからだろう。
自分がどうしたいのか、どう生きたいのか、それを考えて生きているひとと一緒に飲むお酒は、時折、そんな気付きがあって楽しい。あの人を誘い合わせて蛇骨湯に行けたら、さらに楽しいだろうな、と妄想がむくむく。
それにしても、フラッと入ったお店だったのに美味しかった。お店の切り盛りを手伝っていたおばあちゃんが、お客さんの間に座っておしゃべりをしていて、良い意味で境界線がなかったなぁ。鶴橋には引き運があるみたいです。