キノシタケ
鎌倉に移住した夫+妻+娘のブログ

地震が起きた一日

2011年3月11日、午後2時半過ぎ、その時、ぼくは、仕事仲間の一人と一緒に、御茶ノ水にあるスタジオにいた。揺れが徐々に大きくなるにつれて、恐怖心が大きくなる。脳裏に浮かんだのは阪神大震災のこと。

揺れが続く中、連れがすぐに部屋の扉を開けてくれた。冷静な対応に驚く。だけど、扉を開けたまではいいが、部屋から出たほうがいいのかどうか判断がつかない。部屋を出たすぐの所は、ビルの中庭に位置していて、上から何か降ってきそうで危険な気がした。

しばらくすると揺れは収まった。自分の身の安全がなんとなく把握できると、近くのビルで働いていた嫁さんのことが気がかりになった。「嫁さんがいたオフィスは7階にあるけれど、自分がいた部屋がこの程度の被害なら問題ないはず」と頭では分かっていても、一刻も早く安否を確認したくなった。

マンションの外へ出てみると、大勢の人が外へでていた。みんな心配そうに喋り合っている。異様な雰囲気に少し恐くなる。

すぐに自転車を飛ばして、嫁さんがいるビルへ。すぐに余震がきそうだったので、エレベーターではなく、階段で7階へ向かう。階段をのぼる途中「地震くんなよ、いま、くんなよ」と頭の中でつぶやく。

オフィスへ着くと、棚や机が倒れていて、ひどい有様になっていたけれど、嫁さん含め、他のスタッフさんにも怪我がなくホッとした。

記録として何枚か写真を撮り、ビルの外へ。他のみんなは秋葉原にテレビを見に行くということだったので、ぼくは嫁さんと二人で帰宅することにした。

さて、どうやって帰るか。ぼくには自転車があるが、嫁さんは電車通勤。電車がちゃんと走っていないことは安易に予想できた。自宅まで歩けば約1時間。嫁さんだけタクシーで帰らせ(この時はまだすぐに乗れそうだった)、ぼくは自転車で、という選択肢もあったが、こういう状況では家族が一緒に行動することが何より大事だと思ったので、二人して徒歩で帰ることに決めた。

帰りはできるだけ道路の真ん中寄りを歩き、危険が少なそうなルートを選択した。人通りはいつもの倍ぐらいはある気がした。みんな足早に移動している。途中、嫁さんの心配をやわらげようと、パン屋に寄ってアンパンとクリームパンを買った。

時折、iPhoneからTwitterをのぞくと、地震の速報情報が流れている。とにかく焦りを感じる。一刻も早く家に帰りたい。

自宅についた。ドアをあける。変わった様子はない。部屋をのぞくと本が何冊か倒れていただけだった。iMacも無事。水と電気とガスを確認する。異常なし。生活に支障がなさそうでひとまず安心する。

その後、テレビとネット、Twitterで情報収集すると、震源地の被害状況、東京の交通インフラの麻痺状況がわかってくる。別れたスタッフさんが足止めをくらって、スタジオで一夜を過ごすことにしたと聞き、事の深刻さが身にしみてくる。

阪神大震災の時、ぼくは大阪に住んでいたので当事者意識はなかったと言っても過言ではない。けれど、今回は違う。東京の被害は(震源地と比べるまでもなく)小さいけれど、現に電車がとまり、宿泊難民が続出していた。自分はたまたま自力で帰れる距離にいたし、嫁さんともすぐに会えた。けれど家族の安否が確認できていない友人がたくさんいたことはTwitterから伝わってきた。ほんとに紙一重の状況だったのだ。

この日は寝るまで、Twitterを使って、東京の交通状況や宿泊できる施設などを伝播していた。それが、東京のフォロワーが多い自分にできる唯一のことだと思ったから。

終り。

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